自分のお気に入りのタイ人女性が他の客と遊びに行ったとき、モヤモヤしてしまう人。
夜の女の子と付き合うことになって心が病みそうな人。
パタヤはそんなこと気にせず楽しんでほしい。
今記事はそんなタイ人女性との悩みや、嫉妬心で気が病んでしまう人の役に立てばと思う。
嫉妬する理由
まず、相手の気持ちをコントロールすることや、相手を所有できないということを受け入れよう。
嫉妬は他者を所有していると思うときに生じる。しかし実際は他者を所有することはできない。
また、愛情が自分に向いていないと感じるときも嫉妬する。
つまりタイの女の子、ましてやパタヤの夜で働いている女の子なんていろんなお客さんを相手にするわけだから、常に自分と一緒にいるわけではない。
お客さんを相手にしている時は、どうしても自分に気が向いていないと感じてしまうだろうからね。
嫉妬は無限の想像を掻き立てる
嫉妬する人は自分が愛されていない(気に入られていない)という証拠を探してしまう。
しかも、嫉妬は無限の想像を掻き立てる。
無限に想像できるから、いろんな疑いを自分の頭で考えてしまう。
その結果、自分の心は相手の事で忙しくなり、いわゆる『沼る』って状態になる。
そしてまた繰り返す。悪循環に陥ってしまうのだ。
結局、タイの女の子がどのように振舞ったり、行動するかを自分がコントロールすることはできない。
だから、そういうことを考えること自体を無意味と捉えておいた方がい気が楽になる。
ましてや相手はパタヤの女の子だからね(笑)
嫉妬しなくなるには?
自分に自信を持つこと
自分に自信がある人は嫉妬しない。
自信がない人は、女の子が愛している(気に入っている)と思われるライバルにこう思うんだ。
あいつの方がかっこいい、あいつの方が魅力的だ、と。
これは自分の自信のなさのせいで生じている。
だから自信をつけるように頑張ったりとか、男磨きとかが流行ってくるわけだ。
自己中心的な行動を控える
これは自分にしか関心がないがために、嫉妬するという意味。
嫉妬されることが愛されている証拠だと思うなら、女の子に嫉妬してほしいと思うはず。
それはつまり、自分に関心を向けてほしいということになる。
相手の興味が自分以外に向くのが嫌と言うのと一緒だ。
他者の気持ちを所有できない、コントロールできないということを理解しておけばこう思わなくなるはず。
パタヤの女の子との進展は早い
これはもう超早い。初めてパタヤで遊んだときはついて行けなかった。
良くも悪くも、女の子は次から次へと見つかる。
女の子からしても、次から次へと新しい男と出会える。
だから、出会う→盛り上がる→冷める→別れる
という流れが超早い。(これはうまくいかなかった場合だが)
だからいちいち気持ちとか感情とか嫉妬とか考えてる暇もないし、『所有している』という考えでいたら身は持たない。
パタヤの女の子との関係が続いている間は、今この瞬間、女の子と一緒に『いる』という瞬間が継続されているだけと捉えよう。
大体の人は、いつか関係が切れる。
女の子を『持っている』と考えていると一緒にいない間にモヤモヤして嫉妬心が働くし、関係が終わった瞬間、『失った』と言う感覚になる。
だから、『所有している』という考えではなく、この日、この瞬間は『いる』って思って遊んだほうがいい。
見返りを求めないこと
ギブアンドテイクの関係に持ち込まないこと。
ギブして相手が幸せならそれでいい、自分が気に入って一緒に遊んだり、お金を払っているという感覚を持とう。
これがギブアンドテイクでいると苦しく思ってしまう。
自分が愛した(感情を費やした)分、愛されたい(感情を費やしてほしい)という見返りを求めてしまうからだ。
自分が愛したいという相互関係が一番いい関係だと思う。
愛してほしいという欲求はろくなことにならないからやめておくべきだし、前述通り他者は他者。女の子は自分のことを気に入るかどうかの最終判断は女の子がするしかない。
自分でコントロールできない範囲のことを考えても無意味だ。
自分の番が回ってきたと考える
女の子たちは仕事している。彼女たちの職業だ。
だからそうやって割り切ろう。仕事にとやかく口を出すべきではないし、女の子たちがどう働くかをコントロールするのは無理だ。
だから自分と一緒にいる時間は自分のターンが来たと考え、遊んでいた方が気持ちが楽になる。
女の子たちのお客さんが来たら、快く送り出そう。
彼女たちはお客さん、友達、恋人は全く別として考えている。
だからあなたが本当に気に入られているなら大丈夫。
最後に
嫉妬は経験値が上がればなくなるか?と言われると、そんなことないと思ってる。
実際になくなったとしたら、それは麻痺しているか、そこまで情熱的になれない年になっただけだと思う。
学生の頃みたいな、熱の入った恋愛は年を取ればとるほどできないと思っている。
でもパタヤの街はそれを思い出させてくれた。
だから、もし嫉妬できるならそれもまた幸せと思ってもいいんじゃないかな。